押切もえスッピンでCM出演!ノーメイク押切もえ[そこそこ美人]ディーアップマスカラCM
東京トリセツタイムズにようこそ!
押切 もえが新しく出演するCM、D-UP(ディーアップ)の
ディーアップマスカラでは、
押切 もえ(おしきり もえ)がいきなり「すっぴん」の映像から登場!
すっぴんノーメイクでも「そこそこ美人」
「そこそこ美人」を合い言葉にディーアップマスカラのCMに
出演した押切もえのすっぴんをご覧ください。
確かに!スッピンでも「そこそこ美人」の押切もえ。
最近ではアイドルや女優、タレントのすっぴんの顔を
公表するのが流行している。
本当にすっぴんなの?という薄化粧のものもありますが
押切もえのすっぴんはいかがでしょうか?
D-UP(ディーアップ)マスカラのCMも含めてご覧ください。
D-UP(ディーアップ)マスカラのCMの放映は
2015年5月28日からテレビ放映開始です。
押切もえスッピンでCM出演!ノーメイク押切もえ[そこそこ美人]ディーアップマスカラCM
押切もえのすっぴん画像
押切もえがいきなりすっぴん姿から登場!
すっぴんでも「そこそこ美人」
いえ…すっぴんでも結構美人なんですけど…
押切もえのスッピン姿は、ほんの一瞬ですが、
スチールにしてしまえば、ずっとすっぴん。
すっぴん顔の押切もえは、確かに目元が寂しいけれど十分美人!
女性はほんの少しのメイクでもガラリと変わる。
このD-UP(ディーアップ)マスカラのCMについて
押切もえのコメントがある。
【押切もえ本人コメント】
今までにない刺激的で楽しい撮影で、
“そこそこ美人”から変わっていくシーンは完成を見ながら
わくわくしていました。
テレビCMで自分のすっぴんがドアップで出るのは
不思議な気持ちですが、『ディーアップ マスカラ』に
興味を持ってもらえるきっかけになれたら嬉しいです。
押切もえディーアップマスカラ
私、すっぴんだと「そこそこ美人」
だけど、「ディーアップマスカラがあれば…」
「そこそこ美人」な私も「結構美人」にアップする!
押切もえディーアップマスカラCM
押切もえディーアップマスカラCMメイキング
押切もえディーアップマスカラのCM映像メイキングビデオ
もご覧ください。
押切 もえ プロフィール
1979年生まれ。千葉県出身。
ティーン雑誌の読者モデルから、「CanCam」の専属モデルを経て、
現在は「AneCan」の専属モデルを務める。
モデル業の他、テレビ・ラジオや広告キャラクターに
デザイン業執筆活動と多方面で活躍中。
2013年8月には処女小説「浅き夢見し」(小学館)を発刊し、
小説家デビューを果たした。
押切 もえ プロフィール
押切もえはプロフィールを見ると、苦労人である。
まだまだ活躍できる押切もえの活躍に期待。
押切 もえ
(おしきり もえ、本名同じ、1979年12月29日 – )は、
日本のファッションモデル、タレントである。
千葉県市川市生まれの松戸市育ち。ケイダッシュグループのパール所属。
来歴
松戸市立第五中学校卒業後、昭和学院高等学校に入学するも中退。
翌年、千葉県立市川西高等学校の一学年下に再入学し後に卒業。
在学中より、雑誌『Popteen』の読者モデルとして登場。
そのきっかけは、周りに雑誌に出ている子が多く、
当時通っていた地元の日焼けサロンで、声を掛けられたことによる。
『Popteen』に掲載されている写真について「ルーズソックスのブカブカ感は当時、
あまりお金がなく、履き込んで、ずっと使い続けていたから」とのこと。
その後、雑誌『egg』の読者モデルを経て、再び雑誌『Popteen』から
『東京ストリートニュース』へと、モデルとして、
ステップアップし着実にファンを増やしていった。
読者モデル時代は、誌面上で、当時のメイクから、
【コギャルのトップ】や【スーパー高校生】などの呼び方をされ、
読者の女子高生のカリスマ的存在になった。
『Popteen』卒業後も何度か紙面にゲストとして登場していた。
一度、雑誌『ViVi』のモデルに転身をはかるも失敗。
最初の頃はオーディションの話も仕事の話もあったが、
運好くスカウトされて事務所に入ったため、行く先々で、
自分をアピールできず、失敗。再び『Popteen』に出戻る。
そして2001年に”大人系女性”への転身を計るため、
『CanCam』の専属モデルとなる。
その直後、所属事務所が解散する。
自らが、月に1~2度ある仕事のスケジュール管理も行い、
タレント名鑑を購入し、希望する事務所に片っ端から電話するが叶わず、
『いつでもスタンバイして現場に行けるように』と考え日雇いのバイトを選んで働く。
不安だったが、1日1日を無駄にしていないという気持ちだけで乗り越える。
その後もえカジと言われる、おしゃれにカジュアルな服を着こなすスタイルや、
押切巻きという巻き髪スタイルで蛯原友里、
山田優と並ぶ同誌のトップ3人気モデルとして大ブレイク。
特に蛯原とは人気を二分し、以後のファッションモデルに大きな影響を与えた。
2007年4月号に同誌を”卒業”。
その後、2006年の春と秋に発売されて好評だった
『AneCan』が2007年3月からの月刊化にともない、
専属モデルとして抜擢された。
また、2003年、第31回ホノルルマラソンを女子総合1130位(4時間32分17秒)で完走。
翌2004年の第32回ホノルルマラソンには、盲人ランナーの伴走として参加した。
2007年5月30日に行われた藤原紀香と陣内智則の結婚披露宴において、
紀香にキャンドルサービスのトーチを渡す役を果たした。
出典:wikipedia